AIの活用分野が広がってきて経営にどう取り組むか?
時代を先取りしようとする世界規模の競争が激化している。残念ながら日本はその先頭にはいないようだ。

6月2日日経新聞によると、
人工知能の研究や開発をリードする「トップ級人材」の約半数が米国に集中していることが分かった。日本は世界の4%にとどまるとのこと。

政府や企業は挽回に動き始めた!!
デジタル人材の初任給の差別化/優遇、高度人材に高い給与に踏み切る企業が出てきた。
6月4日日経新聞は、「過熱AI人材争奪+スタートアップ企業丸ごとM&A」と報じた。
6月4日朝のNHKが「ゼロから生み出す発想、求められるアート力」を特集した。
世の中にそういう意識が芽生えてきたと言えそうだ。
一方日本政府は、
AI人材年25万人育成するとのAI戦略概要を発表。
「数理・データサイエンス・AI」は総ての国民にとって「読み・書き・そろばん」と並ぶスキル
を理念とし、
1)全ての大学生・高専生に初級レベルのAI教育
2)AIと専門分野のダブルメジャーを促進
3)大学に社会人専門コースを設置し、学び直しを支援 に取り組むと。

(057)はデジタリゼーションが進む世の中にあって、一見真逆なものと思える「勘・直感」は必要なのか?
人間の価値の本質に迫るテーマのように感じ、識者はどう考えているか
探りながら考えてみたい。

国立情報学研究所新井紀子教授;
5月10日の日経新聞令和を歩む⑦で、
人口減少が進み人件費が上昇する日本は、企業活動のあらゆる面でデジタル化が進むデジタライゼーションの影響が最も顕著に表れる国だろう。
これまでの研究でAIの限界がハッキリした一方多くの中高生がAIと同じように読解力が不足していることが分かったと指摘。
AIに勝る読解力を養おう!!
読解力といっても文学の鑑賞ではなく教科書や新聞なで事実に関して書かれた文書を正確に理解する力だ、
これを放置するとAIに仕事を奪われてしまう層が増え格差が広がる危険性がある、、と。

6月4日27年ぶりに歴代記録を更新した1,434勝の羽生善治名人は2012年11月上梓の「直観力」で;
将棋は一つの場面で80通りの可能性があるといわれている、
羽生名人の場合、その中から直感によって、二つないしは三つの可能性に絞り込んでいく、残りの77~78の可能性については捨てる、
沢山ある選択種があるにも関わらず9割以上、大部分の選択種は考えていない、見た瞬間捨てていることになる。
直感によって、二つないしは三つ選び出す作業とは、カメラを被写体に向けて全体の絵柄=構図を考えピントを合わせるような作業が直感の働きだと考えている。
先を見ることができるといいな、、と思うがそれは難しい。
現実に本当にみることができないからだ。それでも過去から現在の変化を見ることは可能。
その変化の延長戦上に想像力を働かせることはできる。

想像力とはまだ起こっていない、しかし起こるであろう現象をリアリティをもって受け止める力のことだ、、、と。
どんなことでもいい、これまでとの違い、昨日からの変化を見つけてみる、そしてその先を思い描いてみる、そうすることで想像力が鍛えられていく。
その想像力を働かせて頭の中に描いた何かを具体的に実現させるアイデア発想が想像力だ!!、、と指摘。
羽生名人には是非人工知能ではでてこない閃き・発想力で頑張っていただきたい。
 
2017年7月「世界のエリートは何故美意識を鍛えるか」を上梓した山口周さんは;
グローバル企業が「美意識」の養成を重要視し始めている,
「偏差値は高いが美意識は低い」という今日の日本のエリート組織へ提言をしている。

説明責任が重視される社会,
なぜそのようにしたか?を後でキチンと説明できることを重視する風潮が強まっている社会に於いて、ともすると企業運営の軸足は「論理」に偏りがちになる.
「分析」「論理」「理性」てに軸足をおいた経営(サイエンス)が優位になるというのです。

アートとサイエンスを横に並べればアートはサイエンスとクラフトに劣後することになる。
意思決定のタイプ;
(貴方の会社組織の意思決定のタイプを想像してみてください)
・サイエンス思考型 様々な情報を分析した結果このような意思決定をした
・クラフト志向型  過去の失敗経験をふまえた結果このような意思決定をした
・アート志向型   なんとなくフワッとこれがいいかなと思って意思決定した
サイエンスとクラフトを軸足において説明責任を過剰に重視すれば天才・異才を組織に抱える余裕は失われ組織は論理的かつ理性的な説明ができることに注力することになる.
乾いた計算を基になされる経営から「人をワクワクさせるようなVision」や「人の創造性を大きく開花」させるようなイノベーションは生まれない!!

経営組織にサイエンス&クラフト思考の人材や説明責任重視が支配するようになったら危ない、画期的商品やサービスが生まれないリスクが増大する。
直感と感性の時代と指摘
 詳しくは、以下のブログを参照ください。
若き経営者が美意識を鍛える理由(056) 

2019年1月「右脳思考」を上梓した元ボストンコンサルティングの内田和成さんは(現早大教授)は 
その中で勘はダメとは思わない、ロジカルシンキングだけが重要視され過ぎている、人は理性で動くのではなく感情で動くのである。

まず左脳を忘れて右脳で仕事をしよう
右脳は鍛えることができる。
ロジカルシンキングの限界を超えようと指摘。
 

数学者の藤原正彦さん(お茶の女子大名誉教授)は2018年12月上梓の「国家と教養」の中で;
面白い指摘をしている、ぜひ読んで欲しい。

人間は耳目に入るありとあらゆる情報から自分にとって有意義で価値ある情報をどんな物差しにより選んでいるか?
人は通常嗅覚により選択している、と。
その嗅覚は何によって培われるのか?
「教養とそこから生まれる見識が大きく働いている」と指摘。
これからの教養にはに4本の柱がある、
1)人文教養–文学や哲学
2)社会教養–政治、経済、歴史、地政学
3)科学教養–自然科学や統計
ここまでは今までの柱、ここに
情緒」「形」と一体となった知識が第4の教養を追加したい。
ますます広範にわたり深化する情報社会を生き抜くために物差しの必要度が増しているからである。
書斎型の知識ではなく現実対応型のもので生き吹き込まれた知識である。
情緒:培われてきた心、例えばどんな美しいものを見たり読んだりして感動してきたか?
形:日本人としての形、例えば弱者にたいする涙、卑怯を恨む心
これらは論理的とは言えない価値判断だと。
 
東宝映画は「男はつらいよ」全作をデジタル化し、山田洋次監督はこの12月に50作目を公開するらしい。
山田さんは、昭和に培われた日本人の心、藤原さんの言葉を借りると「日本人の形」を再現したかったのかと勝手に思う。
藤原さんの話と山田洋次監督の想いがリンクするように感じてならない。
古き良き時代、人々のふれ合いは日本人と形であって昭和で終わって良い話だろうか?

今般引用させてもらった新井紀子さん、羽生善治名人、山口周さん、内田和成さん、藤原正彦さんの指摘には共通点がある、データリゼーション時代の落とし穴を予見・指摘したものと思う。

人工知能が人間の勘、直感を超えるようになるのか?
筆者には分からない。
・少なくとも人間の価値はどこに残るのか?認識しておこう
・優秀なデジタル人材が増えても組織内での人材登用のバランスを欠かないようにしよう
・社員に「観・感・勘」を鍛える機会を与えよう
・全地球的な経済発展の結果、世界に巨大な「自己実現欲求の市場」が登場
 サイエンス中心の付加価値を立脚点とする競争に、
 アートを取り込み機能的な利便性や価格競争力よりも情緒面の競争へシフトすべきとの指摘は
 組織を構成し運営するマネジメント」として頭に入れておこう。

レジェンド営業塾


デジタル・サイエンス人間が増えていくことの良い点と落とし穴を予測して手を打っておく必要あるのではないだろうか?
組織を動かす立場の人には、サイエンス偏重にならぬようアート型の人材登用とのバランスを考えて欲しい。
個人には「観・感・勘」を鍛えることの意義を理解してもらい人工知能に勝る「ゼロから生み出す発想力」を目指して欲しい。
心を揺さぶる音楽、絵画、芝居などいいものを観たり聞いたりすることはアートの力、感性を磨く力になると思う。
どこの会社も似たような提案書では面白くない。
世界の巨大な「自己実現欲求の市場」勝負できない、そこは人工知能がカバーしてくれない。